2026年9月17日(木)、一般社団法人HR Buddy研究所は、「職場を動かすコレクティブ・リーダーシップ―心理的安全性は、上司が『与える』ものではない。離職を防ぐ『7つの行動』」をテーマとしたオンラインセミナーを開催しました。
講師には、産業・組織心理学および対人行動学を専門とする、立命館大学 教育開発推進機構 教授の藤本学先生をお迎えしました。
本セミナーでは、心理的安全性とコレクティブ・リーダーシップ行動の関係をひもときながら、一人ひとりの具体的な行動を、人材定着や生産性といった経営成果につなげるための考え方が紹介されました。
制度と成果の間にある「心理」と「行動」
セミナーは、人材育成の現場で繰り返し生じる3つの問いから始まりました。
「研修で身につけたことが、職場で実践されない」
「制度を整えても、人が動かない」
「人材育成を、経営の言葉で語れていない」
これらは別々の問題ではなく、一本の線でつながっています。
研修によって知識や能力を身につけても、それが職場での行動として表れるとは限りません。また、1on1や評価制度などの仕組みを整えても、日々の職場でどのように運用され、本人がどう受け止めるかによって、その効果は変わります。
制度と成果の間には「運用」があり、その運用を左右するのが、人の心理と周囲への働きかけです。人材育成を経営成果につなげるためには、「何を導入するか」だけでなく、「職場でどのような行動が生まれているか」まで捉える必要があります。
能力があっても行動できない「3つの壁」
藤本先生からは、人が能力を持っていても行動に移せない背景として、次の3つの壁が紹介されました。
1つ目は、力を発揮しようと思える動機が不足していることです。職場における人の欲求は、ERG理論に基づき、「生存欲求」「関係欲求」「成長欲求」の3つの側面から捉えることができます。
2つ目は、「発言したら不利益を受けるかもしれない」「自分から動くと余計なことだと思われるかもしれない」という心理的安全性の不足です。
3つ目は、能力を持っていても、「誰に、どのように働きかければよいか」が分からないことです。
こうした「動機」「安心して動ける条件」「具体的な動き方」の不足に加えて、実務では「忙しくて行動する余裕がない」という時間の壁も存在します。行動しないことを本人の意欲だけの問題にせず、その背景を分解して考えることの重要性が示されました。
職場を動かす「7つの行動」
本セミナーの中心となったのが、「コレクティブ・リーダーシップ行動(CLB)」です。
CLBとは、公式な権限や役職の有無にかかわらず、職場の一人ひとりが周囲に働きかけ、チームの方向づけ、調整、参画に貢献する具体的な行動を指します。
CLBは、仕事を前に進める「課題解決に関わる4領域」と、人と人との関係を支える「社会情緒的な3領域」で構成されます。
課題解決に関わる領域は、「チーム管理」「方向提示」「主体行動」「認識共有」の4つです。社会情緒的な領域は、「メンバー支援」「メンバー尊重」「チーム重視」の3つです。
例えば、「必要な情報を周囲へ伝える」「認識のずれを共有する」「困っている人に声をかける」「問題に気づいたら自分から動く」「異なる意見を受け止める」といった行動がCLBに該当します。
リーダーシップを一部の管理職だけが発揮するものではなく、職場の誰もが実践できる「周囲に良い影響を与える行動」として捉えることがポイントです。
心理的安全性とCLBの好循環
心理的安全性は、上司が部下に一方向で「与える」ものではありません。職場のメンバー同士の相互作用を通じて生まれ、変化していきます。
心理的安全性があることで、本人は周囲に働きかけやすくなります。その働きかけを相手が受け止めることで、今度は相手の心理的安全性が高まり、次の働きかけが生まれます。藤本先生からは、この循環が「PS–CLBサイクル」として紹介されました。
例えば、会議で若手社員が異論を述べた際、周囲が反応せず、そのまま話題を変えてしまえば、本人には「言わない方がよかった」という経験が残ります。
一方、同僚が「私も気になっていました」と受け止めたり、上司が「もう少し聞かせてください」と応答したりすれば、「言っても大丈夫だった」という経験が残り、次の発言や行動につながります。
職場の循環が始まるか、止まるかは、こうした日常の短い応答によって大きく左右されます。
また、正規雇用者1,000名を対象とした調査結果も紹介されました。上司によるメンバー尊重やメンバー支援などの行動は部下の心理的安全性と関連し、部下による多様な働きかけは上司の心理的安全性とも関連していることが示されました。
心理的安全性は上司だけがつくるものではなく、上司と部下、同僚同士が互いに影響を与えながら形成していくものだといえます。
人材定着と生産性を同時に考える
CLBのうち、課題解決に関わる行動は、任される、挑戦する、学ぶ、成果を出すといった経験につながり、成長実感や生産性を高めます。
一方、メンバー支援やメンバー尊重などの社会情緒的な行動は、「受け入れられている」「必要とされている」という感覚を生み、心理的安全性や人材定着につながります。
離職防止だけを目標にすると、「人が辞めなければ成功」という状態になりかねません。反対に、短期的な成果だけを追求すると、人が疲弊し、成長実感を失い、結果として離職につながる可能性があります。
そのため、人材育成においては、ワーク・エンゲージメントや就労継続意欲と、個人・チームのパフォーマンスを同時に捉えることが重要です。
研修を「知っている」で終わらせない
セミナーの最後には、研修のゴールをどこに設定するかについても解説がありました。
研修で概念を知り、その価値を理解するだけでは、職場の変化にはつながりません。研修のゴールは、「実際に同僚や周囲へ働きかけた」という行動の段階に置く必要があります。
具体的には、研修時に自分が取り組むCLBを決め、その後30日間、職場で行動を実践します。さらに、行動が相手や職場にどのような影響を与えたかを確認し、再測定を通じて次に取り組む行動を決めていきます。
CLBを測定する際にも、個人を評価するための点数として扱うのではなく、チーム内における「相互の働きかけの量と内容」を把握し、職場に不足している行動を見立てることが重要です。
知識や能力の獲得で終わらせず、具体的な行動の実践と振り返りまで設計することで、人材育成を職場の変化と経営成果へつなげることができます。
個人の行動から、組織の発達へ
今回のセミナーを通じて、心理的安全性を高め、人材定着と生産性を両立するためには、制度を整えるだけでなく、職場における日々の具体的な働きかけを増やしていく必要があることが示されました。
職場の一人ひとりが、「ここで働きたい」「ここで成長したい」と思える相互作用をつくること。それが、ワーク・エンゲージメントとパフォーマンスを高め、人材育成を経営成果へとつなげていきます。
HR Buddy研究所では、今後も心理学や組織行動に関する研究知見を企業の実務に活用できる形で発信し、調査・分析、講演、研修などを通じて、人と組織の成長を支援してまいります。
ご登壇いただいた藤本先生、ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
