“他にあり得た様々な場合”をどう可視化するか──人材開発に活かす複線径路等至性アプローチ(研究員:杉本 有さん)


杉本 有
HR Buddy 研究所 研究員
九州大学人間環境学府行動システム専攻博士後期課程

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① はじめに──なぜキャリア施策が“納得感”につながらないのか

「キャリア支援制度を用意しても思うように利用されない」「面談や研修で示したキャリアパスが腹落ちしない」──人材開発の現場では、こうした“手応えの薄さ”にしばしば直面します。

スキルや年次、評価データだけでは捉え切れない意思決定の背景には、様々な要因が複雑に絡み合っている可能性があります。本稿では、見えにくい選択・納得のメカニズムを読み解く手がかりとして、質的研究手法である複線径路等至性アプローチ(以下、TEA)を紹介します。

② TEAとはなにか──見えない径路を記述する方法

TEAは、発達/文化心理学に基づいた質的研究手法であり、非可逆的な時間の中で、人生の径路のそのプロセスに焦点を当てるという特徴があります。

特に、TEMは人が複数の径路を経て収束する任意の到達点(Equifinality Point:EFP=等至点)に至るまでの分岐点(Bifurcation Point:BFP)や径路に存在する社会的諸力を図示することで、人生の複線的な径路を捉えることができます。

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注1):TEAの構成要素のうちTLMGは重要な概念だが、TEMから得られたデータを発展的に分析する枠組みであることに加え、紙幅の都合上、本稿では取り扱わない。
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[図1 TEMの例](荒川ら,2012)は簡易的なプロトタイプのTEMである。この図に、研究によって明らかになったSGやSDが加筆されていく。実線は実際に辿った径路、点線は他にあり得た径路を示している。

HR領域への示唆
TEAでは、「なぜその選択をしたのか」だけでなく、「なぜその選択をしなかったのか」という未選択の径路にも意味を見出すという点も重要視しています(安田 et al., 2015)。

他に想定されたが実際には歩むことのなかった径路をも、制度や文化、環境などの社会的諸力の影響によって行われた/行われなかった選択として考察の俎上に載せることが可能になります。

人材配置やキャリア施策の設計においては、このような制度や文化と個人の選択が複雑に絡み合う構造を認識することが不可欠です。TEAは、そのための分析枠組みとして、非常に有用だといえるでしょう。

③ TEAを用いたキャリアに関する研究事例

TEAは、人生を「非可逆的な時間軸」に沿って「複線的な径路」を可視化する質的アプローチであり、HR領域における個人のキャリア、意思決定や人事制度の効果などを理解するうえでも有用な研究手法です。

杉本(2025)では科学のネットワークモデル(佐藤, 2020)に依拠しつつ、TEAを「量的研究のような大規模・一般化を目指すものではないが、科学知識のネットワークにおいて“新たなノード”としての機能を果たす」ことを示し質的研究が「科学知の網目を細かく織り上げる」役割を担いうる点再評価しています(杉本, 2025)。

この視点は、TEAがサンプルサイズの小さな、あるいは単一事例についての分析ツールに止まらず、現場で起こる意思決定やキャリア選択といった出来事を、制度・文化・歴史的背景とともにそのプロセスを可視化し、科学知のネットワークへ接続可能にする枠組みであることを示しています。

HR領域においても、様々な事柄を、現場での経験談で終わらせずに、知見として共有・累積し新たな取り組みへ応用することを可能にする方法論として活用しうるものです。

本節では、この理論的背景とともに、企業や専門職の現場事例を紹介します。

  1. 中堅社員の価値観形成プロセス:廣松 & 尾澤(2020)
    この研究は、内省支援を必要とする中堅社員を対象に、インタビューとTEA分析を用い、彼らの仕事観や信念の形成過程を調査したものです。中堅社員は特に<仕事の大変さ,難しさに直面する>,<異動・配置換えにより新しい仕事に就く>,<一人で完結させる責任の重い仕事を任されるが,予想外のトラブル対処に追われる>といった経験を通じて、「周囲(上司や顧客)の期待」と「業績を求める組織風土」との間で葛藤していました。そして、成功・失敗の両経験から、まず自身の仕事への取組み方を深く理解し、その上で自らの仕事観・信念を自覚していくというプロセスを明らかにしています。 これらの知見に基づき、熟達者へと成長するための上司による内省支援のあり方が検討されています。
  2. リハビリ専門職の目標設定/達成プロセス:Saito et al.(2023)
    本研究は、TEAを用い、作業療法士へのインタビューを通じて、クライエントの「活動・参加レベル」の目標達成プロセスを質的に分析したものです。 その結果、目標設定と目標達成には2つのフェーズと4つの径路が存在することが特定されました。また、目標のすり合わせが難しい場合は丁寧な対話で、具体的な介入が困難な場合は機能訓練など多様な手法を柔軟に活用するといった、療法士による具体的な協働の方策も明らかになりました。
  3. 自己調整学習のプロセス:Masaki(2023)
    本研究は、従来の自己調整学習(SRL)研究は、再現性を重視する量的手法に偏り、SRLを画一的なプロセスと見なすことで、環境との相互作用や個人の発達といった重要な側面を見過ごしてきた問題に対し、SRLを「社会文化的文脈における個人的な行為」として捉え直すことを提案しています。 その上で、教育・学習領域にTEAを適用し、学習を途中で止めるという離脱パスにも意味があることを示しています。これは企業のリスキリング施策を設計する際に、参加しない・離脱する背景構造を理解する際の手がかりとなります。

※紙幅の都合上、各研究におけるTEMを割愛しているため関心がおありの方は是非、参考文献表よりご参照ください。

④ HR実務への応用提案──リスキリング・異動/配置・育成設計にどう活かせるか

既存研究が示すTEAの活用例を手がかりに、人材開発や制度設計における応用の可能性を検討します。HR実務において発生する様々な現象を「別の等至点(EFP)に至る径路」として理解する視座です。

以下では、具体的なHR課題に対するTEAを用いたアプローチの例を3つ紹介します。

  1. 異動・配置で生じるミスマッチ構造を捉える
    廣松・尾澤(2020)は、中堅社員の仕事観や仕事への信念形成の契機として、職場での環境の変化が大きく作用することを示しました。これは、例えば異動や配置転換を断った社員の選択が自身の「自己中心的」な判断だと解釈するのではなく、制度、組織文化や個人がその時置かれている状況が生んだ分岐点(BFP)であったという解釈が可能であることが考えられます。
    社員へのインタビュー調査を通しTEM図を作成し、異動前後の経験を構造的に可視化することで、社員の選択の裏側にある制度のバイアスや配置設計の前提のズレを浮かび上がらせることができる可能性があります。
  2. 逸脱や失敗を“成長の分岐”として制度に組み込む
    Saito et al.(2023)の研究は、リハビリ専門職の目標設定プロセスにおいて、達成だけでなく、途中変更や未達成も別の等至点に至る径路として意味があることを示しました。
    この視点をHRの人材育成制度に応用するならば、例えば、新卒者や中途採用者のオンボーディングやOJTの途中離脱者や期待された径路に到達しなかったケースにも、社員へのインタビュー調査を通しTEM図を作成することで「もう一つの育成径路」を模索することが可能になります。複線的な成長モデルを設計することで、人材育成の包摂性と柔軟性が高まるはずです。
  3. リスキリング制度の参加・不参加を“径路”として捉える
    Masaki(2023)は、自己調整学習(SRL)のプロセスをTEAで記述し、「学習を途中でやめる」という選択にも意味があることを示しました。
    この知見をHR施策に応用するならば、例えばリスキリング研修への不参加者も「拒否した」人ではなく、「その径路を選ばざるを得なかった」人と捉えることができそうです。また、制度設計の段階で、過去の異動や評価経験、職場文化、家庭の事情といった社会的方向づけ(SD)がどこで作用したかを明らかにすれば、研修内容だけでなく、「制度の入口そのもの」の再設計が可能になりうるでしょう。

⑤ おわりに──

TEAは、異動や研修機会、リスキリングなど、制度への意思決定のプロセスを記述できる枠組みです。企業の文化、環境や社会的諸力(SG/SD)との相互作用のなかで従業員の意思決定を理解する視点は、HRの制度設計にも有効です。

今後の人材開発や制度設計では、「期待された径路から逸脱した事例」を単なる例外として扱うのではなく、それらも含めた複線的な育成・配置の戦略を設計する視点が求められます。TEAは、現場の個別事例の理解の技法として、制度に反映していく上で大きな可能性を持っているといえるでしょう。

杉本(2025)は、TEAのようなアプローチが「科学知の網目を細かく織り上げる構成要素」であると述べています。これはつまり、現場の語りや行動の経緯を、ナラティブにとどまらず、知として蓄積していくことが重要であることを示しています。

TEAはそのプロセスを支える思考の土台となり、環境、制度や人との関係をより柔軟で持続可能なものにしていくはずです。

参考文献
荒川歩,安田裕子,サトウタツヤ.(2012).「複線径路等至性モデルTEM図の描き方の一例」.立命館人間科学研究,25,95–107.

廣松, ちあき, & 尾澤, 重知.(2020). 内省支援が必要な中堅社員の経験学習における仕事観・信念の形成プロセスに関する質的研究. 日本教育工学会論文誌, 46(4), 363–380.

杉本, 有.(2025). 科学のネットワークモデルに基づくTEAを中心とした質的研究の再評価. 日本科学哲学会 新進研究者 Research Notes, 8.
佐藤直樹 (2020). 『科学哲学へのいざない』. 青土社.

安田, 裕子, 滑田, 明暢, 福田, 茉莉, & サトウ, タツヤ(編).(2015). TEA実践編――複線径路等至性アプローチを活用する. 新曜社.

Masaki, F. (2023). Self-regulated learning from a cultural psychology perspective: Shifting from strategy to process with the trajectory equifinality approach. Human Arenas, 8, 131–149.

Saito, Y., Tomori, K., Sawada, T., & Ohno, K. (2023). Longitudinal process of setting and achieving activity- and participation-level goals in home rehabilitation in Japan: A qualitative study using trajectory equifinality modeling. International Journal of Environmental Research and Public Health, 20(9), 5746.


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