【要約】
キャリア教育は若者に「社会人」となる準備を促す一方で、将来の不安の増大やジェンダーに関する固定観念の再生産といった意図せぬ影響を与えている可能性が高い。
これらの影響は、社員の職場でのパフォーマンスやエンゲージメントにも関わる。
経営者は、現在の若者が受けてきたキャリア教育の光と影を理解し、職場において、単なる「適応」を求めるのではなく、社員一人ひとりの不安に寄り添い、多様性を真に支援し、社会の不平等に対しても意識的な組織運営を行うことが求められている。

1.研究者紹介
九鬼 成美(Narumi Kuki)
一般社団法人HR Buddy研究所
東京大学大学院教育学研究科博士後期課程。
修士(教育学)。専門は教育社会学、キャリア教育、ジェンダー。
2.この記事の目的:キャリア教育が若者にもたらす「意図せぬ影響」とは?
教育は通常、何か「よいこと」を受け手に渡すために行われる実践とされています。しかし、全ての営みがそうであるように、教育も目的通りの影響を与えることもあれば、意図しなかった影響、副産物を生むこともあります。
この記事は、キャリア教育という教育プログラムに焦点を当て、その正/負の側面を紹介します。これによって、読者の皆さんがキャリアにかかわるとき、特に企業の採用活動やキャリア育成を担い、キャリアの相談などの場面で、キャリア教育の影響と、キャリアを支援することに対する考え、見直すきっかけとなることを目的としています。
「キャリア教育」という言葉を聞いたことがあっても、その中身をはっきり説明できる人は多くないかもしれません。進路相談のようなもの? 就職支援?——実は、もっと広い意味を持つ教育です。
バブル経済の崩壊後、日本では若者の就職難が深刻な社会問題となりました。とりわけ1990年代後半から2000年代初頭にかけては「就職氷河期」と呼ばれる時代が続きました。この状況を教育から変えようと導入されたのが、キャリア教育です。文部科学省の文書にこの言葉が初めて登場したのは1999年。2000年代に入って義務化され、小学校から大学まで、多くの若者がキャリア教育を受けるようになりました。
キャリア教育の特徴は、将来の進路先や職業選択のための情報の提供にとどまらず、職業人として生きるために必要とされている力の育成に重点を置いている点にあります。特に、非認知能力と呼ばれるスキル、たとえばコミュニケーション能力や課題解決能力など、心理的・社会的スキルの育成が行われていました。また、最近では、仕事だけでなくライフイベント(結婚や出産など)を含めたキャリア構想や、働く環境や社会制度、労働者として知っておかなくてはならないワークルールなどもキャリア教育に必要な内容として知られています。
しかし、こうしたキャリア教育にも課題があります。それは、意図せずしてですが、若者のキャリア観をある意味狭めてしまう可能性があるという点です。
例えば、筆者の研究では、大学のキャリア科目を受講した学生の中に、以下のような影響がみられることが明らかになりました。1つ目は、ジェンダーの固定観念を、キャリア教育を通して内面化してしまうこと。2つ目は、若者が漠然とした仕事への不安を抱えるようになり、特に女性が仕事と家庭の両立に対して強い不安を感じる傾向があることです。

本来、キャリア教育は多様な生き方や固定観念に縛られないキャリアを支援するためのものであるはずですが、現実には既存の社会の中の典型的な成功モデルを前提に話が進められがちです。その結果、キャリア教育の本来の目的とは逆に、自分の選択肢を狭めてしまう若者が出てくる可能性があるのです。
このようなキャリア教育の影響は、学生時代にとどまらず、社会に出た後の職場環境や組織文化にも波及します。職場のメンバーが「この職場はいい職場だ」「この職場で働き続けたい」と思える環境をつくるためには、若者が持つキャリア観の背景を、経営者や管理職をはじめとした影響力の高い人たちが理解することが必要です。若者たちのキャリア教育の現場で、何が教えられ、何が刷り込まれているのか。そこに目を向けることで、より持続可能で多様性のある職場づくりが可能になるはずです。
以下では、筆者の研究によって示された2つの研究成果を紹介し、そこから若者たちが働く場である会社や社会に対する示唆を導いていきます。
3.研究結果①:仕事と家庭の両立は誰の問題か?
第一に、キャリア教育を取り上げた新聞記事の言説分析を行った研究では、キャリア教育の中でワーク・ライフ・バランスやライフイベント(結婚・出産など)といった話題は、主に女性に関連付けて取り上げる傾向があることが明らかにされました(九鬼2023)。
つまり、家庭や生活との両立は、女性が主体的に考えるべき課題として提示されやすいのです。これは、これまでの社会が家庭責任、再生産労働を女性に負わせてきたことが影響しています。つまり、キャリアを考えるうえでワーク・ライフ・バランスやライフイベントが大きくするのは主に女性であるという現実があり、女性たちにニーズがある話題でした。キャリア教育はそれに対応することで、つまり女性のキャリア形成を応援するという側面から家庭や生活との両立を、主に女性に向けて取り扱ってきたと言えます。ですが、それは裏を返せば、男性自身のライフキャリアを考える機会の提供は積極的に行ってこなかったということです。
さらに、キャリア教育を受けた大学生のキャリアイメージの自由記述を分析し、その男女差を比較分析した結果、キャリア教育を受けた男性の中に、仕事への強いコミットメントが促進されることと引き換えに、家庭や生活への無関心が見られる傾向があると指摘されています(九鬼2024)。つまり、キャリア教育が知らず知らずのうちに、「男は仕事、女は家庭も」という性役割の価値観を強化してしまっているというわけです。
4.研究成果②:キャリア教育が若者に与える「漠然とした不安」の正体
第二に、全国の若者へのオンライン調査を分析した九鬼(2023)の研究によれば、キャリア教育の受講が、逆に「漠然とした仕事への不安」を増大させる可能性があることがわかってきました。
この「漠然とした不安」とは、たとえば「ちゃんと社会人としてやっていけるのか」「理想的なキャリアを歩めるのか」といった、具体的な仕事内容や収入とは異なる抽象的な不安です。こうした不安は「自己実現しなければならない」というプレッシャーとも深く関係していると考えられます。
また、特に注目すべきなのが、男女での違いです。同研究によると、女性の中でキャリア教育を受けた人ほど、「仕事と家庭の両立」に対する不安を強く抱いていることが明らかになりました。これは、キャリア教育が無意識のうちに「両立は女性の課題」というメッセージを発してしまっている可能性を示唆しています。
研究成果①では、キャリア教育はキャリアにおけるジェンダーのステレオタイプを打破できていない、または強化していることが示されました。これを踏まえるならば、キャリア教育が女性にだけ「仕事と家庭の両立」を奨励し、女性たちはその実現可能性を不安視していると考えることができます。
もちろん、キャリア教育を受けて将来について不安を抱くというのは、それだけ真剣に将来を考えるようになった証でもあり、一概にネガティブなことだとは言えません。しかしながら、不安の内容があまりに抽象的であること、そして「仕事と家庭の両立」の不安が女性に偏って表れることには注意が必要です。
抽象的な不安の増大からは、キャリア教育の目的がうまく若者に伝わっていないことが懸念されます。そもそも、キャリア教育においてたびたび目的とされる非認知能力の育成は、教育目的として抽象的であると批判されています(本田2009)。
キャリア教育は、若者に夢や目標を持たせるだけでなく、現実的な課題への備えを促す役割も果たします。そのためこそ、「どう働きたいか」だけでなく、「どう生きたいか」にも寄り添う教育である必要があり、性別によって異なる不安を生み出してしまうような設計になっていないか、見直しが求められます。
若者の不安は、やがて職場の声となり、社会の課題として表れてきます。キャリア教育がその入口であるならば、そこで生まれる小さな違和感や不均衡にも、私たちはきちんと目を向けていくべきなのではないでしょうか。
5.「適応」か「抵抗」か:社会構造とキャリア教育の限界
ここまで読んでいただいた読者の皆さんには、ある考えが芽生えた人もいるかもしれません。もしかするとそれは、「ジェンダーステレオタイプなキャリア観や不安を持っている若者たちは、それが不満であるなら、自分たちでそれらを変革できるのではないか。私たちが何かすることはないのではないか。」という疑問ではないでしょうか。
実は、それが難しい仕掛けが、すでに指摘されています。
前述の筆者の研究の問題関心に共通して言えることですが、キャリア教育は非認知能力をはじめとしたアカウンタビリティ(雇用されやすい性質)を育成することを通じて、現状の社会構造や労働市場への適応を重視する傾向があります(妹尾2023、児美川2024など)。
自分自身を変容することで社会をサバイブすることは時に必要なことではあります。ですが同時に、これに注力することで、社会への疑問や不満をないがしろにするおそれがあります。つまり、これにより、若者は社会の不平等(ジェンダー格差、非正規雇用の拡大など)に直面した際に、それを批判的に捉えたり、抵抗したりする技術を十分に身につけられていない可能性があります。労働者個人は適切に不安や不満を訴え、解決に向けて議論する修練を十分に積んできていないからです。
このような若者たちに対しては、これらを補完するようなキャリア支援や環境づくりが必要であるといえるでしょう。これは、学校でのキャリア教育の課題でもありますが、卒業後の社会(職場)の課題でもあります。
6.企業への示唆
社員は、職場における不平等や不合理な慣行に対して、「適応」しようとする一方で、漠然とした不安や、現状に対する不満を抱えている可能性があることを理解する必要があるでしょう。ただでさえ、日本社会では、既存の慣行に異を唱えることは大変な労力のいる行為です。
企業は、単に社員に既存のルールや慣習への「適応」を求めるだけでなく、より公正で働きやすい環境を社員と共に作り上げていく姿勢を示すことで、不安や不満を職場の改善に昇華する環境を整えることができます。例えば、社員が自身のキャリアや働き方について、自律的に選択できるような利害関係のない他者による情報提供や対話の機会を設けることが考えられます。
また、多様な意見を尊重する文化、評価制度の透明性向上、ハラスメント対策など、社会の不平等が再生産されないような組織努力が必要です。この記事で論じてきたジェンダーの観点から、経営者や人事担当者が認識しておくべき重要な点は、社員が「仕事と家庭の両立は女性の問題である」といった無意識の偏見を抱いている可能性があるということです。
こうした偏見がある職場では、男性社員が育児休業を取りづらく、女性社員が昇進や重要な仕事から外されるといった事態が起こり得ます。これを避けるためには、まず職場内でジェンダーに関する固定観念を見直す取り組みが必要です。たとえば、男性の育休取得を推進し、短時間勤務やフレックスタイム制度を男女問わず利用しやすくする工夫が考えられます。また、昇進や職務アサインの際に性別やライフイベントを理由としたバイアスが働いていないか、組織として検証し、是正していくことも求められます。
若者の意見が職場改善に昇華され、多様な働き方やキャリアパスを支援する企業文化は、単に若者や女性のためだけでなく、すべての社員にとって働きやすい職場づくりに直結します。キャリア教育を受けた若者たちが、偏見に縛られず力を発揮できる場をつくることこそ、持続可能な組織の鍵となるのではないでしょうか。
参考文献
本田由紀(2009)『教育の職業的意義——若者、学校、社会をつなぐ』筑摩書房.
妹尾麻美(2023)『就活の社会学——大学生と「やりたいこと」』晃洋書房.
児美川孝一郎(2024)『「新自由主義教育」の40年』青土社.
九鬼成美(2023)「キャリア教育とキャリアと仕事への不安の関係に関する計量的分析——ジェンダーの観点から」『東京大学大学院教育学研究科紀要』62: 483-490.
九鬼成美(2024)「学部横断型キャリア教育が大学生のキャリアイメージに及ぼす影響——ジェンダー分析を通して」『生涯学習とキャリアデザイン』21(2): 103-113.
